現象学への誘い---現象学と医療的観察
BGN 咬合器はどのようにして発明されたのであろうか?
「基礎から応用へ」という過程ではなかった。
そのオーソドックスな過程であれば万を越える補綴学者がしてきた道である。
基礎そのものを最初から見直してみる。これは新しい世界への旅立ちである。
BGN 咬合器はどのようにして発明されたのであろうか?
「基礎から応用へ」という過程ではなかった。
そのオーソドックスな過程であれば万を越える補綴学者がしてきた道である。
基礎そのものを最初から見直してみる。これは新しい世界への旅立ちである。
補綴学と歴史学は考え方の上で非常に似通っている。共に失われたものを再現す
るときの思考の営みは互いによき刺激剤となっている。
歯科学が単に歯科だけのことではなく、他の学術に良き刺激剤となってくれることを示してみたい。
この論考は25 年程前に書かれたものであるが、今でも若きテクニシャンには有用であると思われるのでワープロに起こしてみた。
歯科技工は哲学にも歴史学にも美学にも共通項を持つ幅の広い人間学である。
「なんであいつが東大に!?」どこかの予備校の広告文にこんなのがありました。
劣等生の私が国立の歯学部には入れたのは、ちょっとした「気付き」からでした。
そのような「気付き」の有る無しで人生は変わってしまいます。
「文学者にはなれないけれども文学から人生を豊かにすることが出来るように、数学者にはなれないけれども数学から人生を豊かにして下さい。」 本文より
「文を組み立てる」という作業などはほとんどないほどに無意識的に言葉は次から
次へと発せられる。「咬む・咀嚼する」という行為もほとんど無意識である。しかる
に、義歯ともなれば、意識せずして咬めるものから、工夫しながらようやく咬めるも
のまで様々である。
どうしたら意識せずして咬める義歯ができるであろうか。義歯の構造・運用・意味
がトータルに考えられねばならない。言語学の3大部門、構造・運用・意味は義
歯学に転用できないか。本稿はそれから離れるが、歯科学の門戸の広さは示すこ
とができるだろう。
レオナルドには「モナリザ」「最後の晩餐」などの絵画作品以外に「素描・素画」と「メモ」(マヌスクリプト)約8000ページのもう一つの遺産が残されている。ここにはレオナルドが何を見、何を考えたかが克明に記されている。本当のレオナルドはこれらの文章と描記を知らねばならないが、この資料が完備しているところは世界に二ヶ所しかない。その一つが元学習院大学名誉教授の裾分一弘先生の蔵書群である。先生のご逝去により、それらが海外の古書商に流失しようとしている。今後のレオナルド研究のためにも、これらこれら叢書群を日本に留め置けないか。
裾分先生からレオナルドを紹介された二泊三日の記録
デカルトは近代科学の礎を築いたことで有名である。 哲学・数学・物理学など種々の部門で大きな業績を残している。しかし、面白いことに各分野でのデカルト評価は決して第一人者ではない。デカルト評価のたらい回しとでも言えようか。
日本における現象学の第一人者である立松弘孝先生の最終講義。難解だが、一読に値する。歯科医師向けに、書き直した「翻案」を参考にしてください。
死の恐怖と一方では生きることへの恐怖との狭間で苦しんだ私が20 歳くらいの時の記録である。今となっては、懐かしく思い起こされる。同じ苦しみを味わっている人たちに、それは生涯続くものではなく、いつしかその経験が良かったと思える日が必ず来ることをお話しておきたい。
「最後の晩餐」などで知られてたレオナルド・ダ・ヴィンチであるが、絵画作品以外に8,000 ページものメモや素描を残している。絵画を通したレオナルド理解とはまた別の、文章を通したレオナルド理解がある。このメモ群は手稿と呼ばれて、その各頁は紙葉と呼ばれている。これら手稿・紙葉はレオナルドの死後、分散・集積を繰り返して、現在は9 手稿といくつかのバラ紙葉の状態で現存している。それら手稿が辿った経歴は奇異に富んでおり、まとまっていないために、研究は絵画に比べて極めて遅い。絵画に比して文章の形態はレオナルドの思想を具体的に捉えることが出来る。手稿・仕様の研究が早急に進められんことを願う。
レオナルドはルネサンスを代表する画家である。レオナルドは諸学に秀でており、「万能の天才」の誉れが高い。そのレオナルドであるが、彼の遺産の中に約200葉もの「解剖手稿」が残されている。それは素描とメモからなるレオナルドの解剖観察の全記録である。絵画作品と異なり、これらの紙葉は研究が遅れており、レオナルドの解剖学者としての解明はまだ端緒についたばかりである。画家と解剖学者の間をレオナルドは行き来するというか、その一体化がレオナルドだとするか。
レオナルドの新しい一面を紹介したい。
人生、悩みの種は尽きない。
あれこれ考えるが、結局は 物事を整理して考えなさい とか
色々あるが、何故このようになったのか時系列に並べてみなさい とか
日常的に考えていることのこれらが、実は哲学なのです。
もっとも、「哲学とは何か」を考えれば、麻雀の中にも哲学があるといったものではないのですが。
しかし、思い巡らす中にも知らずして偏りがあるとすれば怖いこととは思いませんか。
どうぞ、現象学を始めてください。
アロンが杏カクテルの入ったコップを指さして「現象学はこのコップのカクテルについて語ることができるのだよ。」と言った時、サルトルはほとんど青ざめた。長年求めていたこれこそが哲学だと思い至ったのである。
眼前に生起する物事を語ることができる現象学は、眼前で生起しない過去のこと---歴史にはなじまないという風潮がある。
しかし、眼前の物事を認識するときの慎重さは、たとえ眼前には生起しない歴史に対しても有効なのではないか。
中川米造先生は医学概論を論じる人としては医学部出身者としては日本の最初の人である。今日においてなおこの分野は未発達である。医療上の問題が生じたときに何をどのように考えればよいかという基本を中途半端にして医学は進んできた。
医学は自然科学としての体裁をとるために、日本では大学受験も理科系とみなされている。哲学的考察は受験時代から問われることなく、日本の医師は育ってきた。今、医療問題が生じたときに医師よりも有識者の意見が重要な位置を占める。しかし、医療を考えるときに医師でない人の判断は医療現場に立たない机上の倫理でなされることになる。医師は医療を実践する者としてどうであらねばならないかを中川先生は示された。
レオナルドが人体解剖を行ったことは知られている。その解剖記録は解剖手稿(英国ウィンザー城所蔵) の200 枚に残されている。しかし、その解剖手稿そのものが学術的に取り上げられることは少なく、その内容は未開拓な部分が多い。
限られた研究を通しても、その解剖記録は天災の余技としての解剖ではないことが分かる。解剖に関しては素人のレオナルドがどのようなまなざしで解剖に立ち向かったか。これは、自然を観察する姿勢を学ぶ上で非常に参考になる。
もちろん、歯科治療の上で大きな示唆を受けたことは言うまでもない。
この論考は出版・公表を目的としたものではなく、あくまでも自分自身のための備忘録であり、長年引き出しの中に眠っていた。この論文に文章の修正を入れていただいたのが、裾分一弘先生、澤田昭雄先生ならびに立松弘孝先生である。
この世界的に著名な先生方(すべて故人)のご助言で私のものの見方や文章は大きく変わった。視野は広くなり、文章も美文というのではなく、読みやすい文章となった。若い世代の方々にも参考になると思われるので公表することにした。
記事一覧 (新しい項目が上)
2022年
「2枚の岩窟の聖母」2021年
「私の『咬合と咬合器の歴史』を読んでいただいた方々へ」2020年
「岸田達也先生の思い出 追悼の辞」2019年
「レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ」2011年
「臼歯部の咬合接触点」2010年
「日常のBGN使用例 #6」重要症例2009年
「BGN咬合器の特徴」2008年
「日常のBGN使用例 #3」2005年
「歯牙負担と粘膜負担のメカニズム」1997年
「デカルトへの批判的考察」1995年
「顎関節症の混沌」1989年
「顎関節症小史」1986年
「パーシャルデンチャーの歴史」1982年
「岸田達也; 西洋歴史思想の展開」スマートフォンからのアクセスはこちら
基本的なことがら
咬合に関すること
パーシャルに関すること
パーシャルデンチャーの歴史
歯牙負担と粘膜負担のメカニズム
岸田達也; 西洋歴史思想の展開
歯科医学史に関すること
歯科医学史講義録
医学史に見る歯科の歴史
医学概論: 中川米造先生の思い出
レオナルドに関すること
レオナルドの解剖講義 レオナルドとミケランジェロの美術思想史的特徴~裾分先生の添削 澤田昭雄先生のコメント~